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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

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4 憧れの陸軍幼年学校へ

 昭和初年頃「敵中横断三百里」という冒険小説を書いて我々子供達が憧れていた山中峯太郎という有名な作家が、昭和9年「少年クラブ」(当時の子供たちのベストセラー)に「星の生徒」(陸軍の帽子の徽章は星のマークで星の生徒は陸軍幼年学校生徒を意味する)という題で1月号から12月号まで連載した。

 そこには陸軍幼年学校の生徒の生活振りが活き活きと紹介されていた。私はそれを胸を躍らせて読んだ。そこに紹介されている全寮制のこの学校の生徒の生活は、小学生の私には夢のような別世界であり、陸軍幼年学校に入ることが私にとって大きな憧れになった。

 小さい頃から、「僕は軍人大好きよ、今に大きくなったなら勲章付けて、剣下げてお馬に乗ってハイ・ドウドウ」という童謡を歌って育った世代だから、今の少年達が野球選手やサッカー選手に憧れるように当時の少年達は軍人に憧れたものだった。

 中学1、2年生で受験する陸軍幼年学校は県下一の進学校である高松中学から毎年3〜40名くらい受験したが一人か二人しか合格出来なかった。大変な難関と言われていたが、幸運にも私は合格して昭和15年4月広島陸軍幼年学校に入学した。

 幼年学校は3年制で月謝(食費・寮費も含む)は25円だった。小学校の先生の給料が50円くらいの頃だから我が家にとっては大きな負担だったが、両親は必死で稼いで月謝を納めてくれた。今思えば両親の苦労はさぞ大変だったと本当に感謝にたえない。

 幼年学校では先ず食事のマナーから厳しく躾けられた。箸の正しい持ち方から始まってご飯と味噌汁の置き方、お代わりを頼むときのお茶碗は両手で差出し、両手で受け取る、その間手を膝の上にきちんと置いて待つ。食卓は6人ずつで全校生徒450人一緒に食べる。先ず週番士官が箸を取る、次に3年生が食べ始まる、そして次に2年生、1年生は最後に箸を取る。

 次に度肝を抜かれたのは入校間もない頃、生徒監(クラスの担任で現役の陸軍大尉)に剣道場に連れて行かれ、切腹の作法を教えられたことだった。その生徒監は2・26事件で決起した青年将校(生徒監とほぼ同年輩)が切腹自決をしないことを憤慨して、15才の少年に軍人はいざと言う場合は潔く切腹する覚悟が必要と教えた。

 幼年学校では卒業まで3年間クラスが固定されて変わらない。朝起きてから寝るまで食事も勉強も運動も一緒の生活を送る。同期生は俺・貴様と呼ぶ軍隊用語で訓育され、1,2カ月もすると出身環境の垣根が消滅してしまい、50人のお互いの気心もすっかり分かってしまう。

 人生で一番感受性の強い時期である15才から17才までの3年間を徹底した英才教育を受けながらともに過ごした強い絆は、一般の学校ではとても考えられないものであり、将来立派な将校になってお国のために忠誠を尽くすという武士道精神をしっかり叩き込まれた、人生の中で得がたく尊い体験であった。

 80才を超えた今日でも会えばすぐア・ウンの呼吸で通じ合える仲は変わらず、生涯の友として交わりを続けている。

 幼年学校から予科士官学校・航空士官学校へと進んだ5年間には思い出が山ほどあるが、今回の趣旨とは離れるので割愛させて頂くが昭和20年の終戦直前のことだけは一言触れさせていただく。

(つづく)

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