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日本計量新報 2012年5月13日 (2916号)

解説
メートル原器の重要文化財指定について
−我が国の度量衡制度近代化への礎を築く−

出典:(独)産業技術総合研究所

文化審議会が重文指定を答申

【ポイント】
◆国際メートル原器と同時に作られた原器30本のうちの1本
◆関東大震災や太平洋戦争の惨禍をまぬがれた白金イリジウム合金製原器
◆我が国の近代度量衡制度における歴史的、学術的価値が評価される
【概要】
 2012年4月20日に開催された文化審議会において、(独)産業技術総合研究所(野間有理事長)が所有するメートル原器ならびに関係原器を重要文化財に指定することが文部科学大臣に答申されました。
 日本の近代度量衡制度における歴史的、学術的価値が評価され、今回の指定に至りました。

歴史的経緯

30本のメートル原器作成

1875年にメートル条約が締結され、ヨーロッパを中心に17カ国が批准しました。1876年、メートル条約の付則によって、国際度量衡委員会がメートル原器の製作を開始しました。
 原器の製作は、熱膨張係数が小さいこと、経年変化が小さいこと、硬いこと、などの要求を満たす、白金90%、イリジウム10%の純粋な合金地金を製作することから始まり、試作地金の分析や試作尺の評価などを経る必要がありました。
 1885年に地金が完成し、曲げに強いX断面形状に加工されて研磨後、0℃で1mの長さを示す目盛線が引かれ、1888年末にようやく30本のメートル原器が完成しました。

メートルの定義は原器

日本は1885年(明治18年)にメートル条約に加盟し、それと同時に、当時製作中であったメートル原器を注文しています。1889年(明治22年)の第1回国際度量衡総会において、30本のメートル原器のうち、No.6原器を「国際メートル原器」とすることが承認され、この「国際メートル原器」に基づきメートルが定義されました。

日本にはNo.22が配布

同時に各国用原器の配布先が決定し、日本にはメートル原器No.22が配布されました。翌1890年(明治23年)にメートル原器およびその校正証明書が日本に到着しています。また原器受領に先行して、メートル原器専用のトンヌロー温度計2本も受領しています。

異なる単位系が混在

明治初期の日本の度量衡は、法制的には尺貫法に従っていましたが、欧米の学問や技術の導入に伴い、一部の分野ではメートル法が浸透していました。一方、イギリスやアメリカに学んだものはヤードポンド法が主流となり、分野により、あるいは教師の出身国や設備、器具の輸入元により、用いる単位系が異なるという複雑な状態でした。

度量衡法を公布 −尺貫法に対応−

科学教育、軍事、気象の分野からメートル法が採用されはじめ、1891年(明治24年)に、メートル原器を我が国の長さの原器とし、メートル法を基礎とする度量衡法が公布されました。しかし、メートル法を基礎としつつも、長さの基本は尺とし、メートル原器の長さの33分の10を尺とする、というものでした。

副原器、尺原器も

最初の30本の原器とは異なる地金でもメートル原器は製作され、希望国に配布されました。度量衡法施行後、日本は国際度量衡局に対して原器類の追加購入を申し込み、メートル副原器2本(No.10cおよびNo.20c、cは地金を区別するためにつけられている)、尺原器2本、半尺原器1本、10No.原器1本(これら4本はNo.14cを切断して製作された)、ニッケル製1m標準尺1本、トンヌロー温度計4本を入手しています。
 これらの原器群も国際度量衡局で校正されており、これらを基準として測量の基準尺の検定や、学術産業上、高精度な検定が要請された物差しなどの検査を行っていました。

関東大震災、太平洋戦争の惨禍も免れる

1923年(大正12年)の関東大震災では、東京府にあった中央度量衡検定所(工業技術院計量研究所の前身)も新しい建物を除き灰燼に帰しましたが、幸い、メートル原器は第1次定期検査のためにフランスの国際度量衡局に送られており無事でした。他の原器類も無事でしたが、多くの資料を焼失しました。
 1944年(昭和19年)には太平洋戦争における空襲被害により原器を失うことが懸念されたため、メートル原器は、茨城県にある中央気象台柿岡地磁気観測所に約1年半疎開しています。

原器は長さ標準の座を降りる

メートル原器の完成当時から、より不変かつ普遍的な標準を探求する必要が考慮されており、各国で研究が行われていました。1960年の第11回国際度量衡総会において、メートルの定義は光の波長に基づくものに変わり、メートル原器は長さの標準の座を降りました。なお、1983年の第17回国際度量衡総会で、メートルの定義はさらに変更され、現在は「1秒の299792458分の1の時間に光が真空中を伝わる行程の長さ」となっています。

原器の目盛線は引き直されている

メートルの再定義を目指した国際的な検討が行われていた1950年代、一方では実用長さ標準器として便利な線基準の校正精度と能率向上のための研究が進められていました。特に国際度量衡局では、目盛線の精度を改善するための研究が行われており、従来より精度の良い目盛線が得られるようになりました。1954年の第10回国際度量衡総会において、各国のメートル原器に新しい目盛を引くことにより、それを改良することを推奨する決議が採択されました。
 これに伴い、日本を含む各国のメートル原器が再び国際度量衡局へ集められ、旧目盛線を全て研磨除去し、0℃で1mの長さを示す目盛線と20℃で1mの長さを示す目盛線および1mmごとの分長目盛線が引き直されました。

歴史上、学術上の価値が認められた

このように、日本のメートル原器および関係原器は、近代日本が欧米の学問や技術を導入していくにあたり、我が国従来の複雑な度量衡制度を国際的なメートル法に準拠させるための重要な役割を果たしており、その後の日本の産業発展に大きく寄与しました。その歴史上および学術上の価値が認められ、重要文化財としての指定に至りました。

指定リスト

【指定名称】メートル条約並度量衡法関係原器
【内訳】▽メートル原器1本▽メートル副原器1本▽尺原器2本▽附(つけたり)=トンヌロー温度計2本、メートル原器校正証明書1通
注:附(つけたり)の前までが本指定、附はこれを補うものです。ケース類は、名称には出てきませんが、付属品として記録されています。
【問い合わせ先】(独)産業技術総合研究所計量標準管理センター計量標準計画室=電話029−861−4346、FAX029−861−4099、電子メールnmij-info@m.aist.go.jp
(初出は産総研webサイト。見出し、レイアウトなどの一部変更は編集部)

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